2007年 05月 20日
失恋について feat. 中島らも |
彼は高校時代、ある女の子に激しい片思いをしていた。
女の子は高校を卒業し、大学進学で東京に越してしまった。
彼は一浪の末、大阪の大学に進学したので、
結局その想いが届くことはなかった。
数ヶ月前、その女の子が今は恋人と同棲している、という風の便りが届いた。
僕はそれを聞いて、歳をとったもんだな、と感じた。
3年振りに彼と会って、酒を飲んだ。
彼はもう、その女の子のことなんて忘れてるんだろうなと、僕は思っていた。
でも、開口一番、彼はこう言った。
「俺、東京に行くことにした。」
彼は大学を成績優秀で卒業し、今は大阪で公務員として働いている。
安定した収入と社会的地位を持っている。
それを捨ててまで、東京に行こうとしているのだ。
交際している人こそいないが、性格は良いし、見た目も決して悪くない。
彼の友人は大学時代を過ごした大阪に固まっている。
大阪にいれば、人間関係も全く問題ないはずだ。
彼が東京に行くことについて、デメリットこそ多数あれど、
メリットなんてどこにも見当たらない。
「彼女が今幸せに暮らしているのなら、それで構わない。
俺はその幸せをぶち壊すつもりなんて、さらさらない。
住所も電話番号も調べれば分かるだろうが、絶対にそれはしない。
してはいけないだろうし、するつもりもない。
でも、このまま地元にいたところで、どうしようもないんだ。
街で彼女に会える確率は0%に近い。
もし、俺が東京に行けば、その確率はほんの少しだが上がる。
そこの角を曲がったら、向こうから彼女が歩いてくるかもしれない。
その想いだけで、俺は次の一歩を踏み出すことができる。
明日、駅の向かいのホームで、彼女を見かけるかもしれない。
その想いだけで、明日を生きていくことができる。
東京に行くと、この狭く澱んだ空の下には必ず彼女がいるんだ、と思う。
彼女が息を吐いて、俺が息を吸って、同じ空気を共有してるんだ、と思う。
雨が降ったら、同じ雨に濡れ、同じ雨音を聞いているんだ、と思う。
ホテルの窓から外を眺める。
あの無数の光の、どれか一つが彼女の家の窓の光なんだ、と思う。
大阪にいても、何もない。
ここには何もないのと同じなんだ。
ここにいる間は、生きていても死んでいても、同じことなんだ。
だから、東京に行くことにした。」
……
彼は東京でホテル住まいを始めた。
金曜日、たまたま出張で東京に来ていた友人と飲んだ。
賑やかな街、溢れる赤ら顔、ネオンの間から聞こえてくる嬌声。
大阪と何ら変わりのない光景。
違うのは、彼女がこの街のどこかで暮らしているということだけ。
明日には部屋を探しに行こう、そう考えながら電車に乗った。
帰宅ラッシュの満員電車、ドア近くに立った。
次の駅で、彼女が乗ってきた。
彼女は、彼に気付かぬまま彼の目の前に立ち、背中を向けた。
心臓が締め付けられた。
嬉しさよりも、驚きと戸惑いで身体が硬直した。
彼は悩んだ。
話しかけるべきなのか、それともこのまま見過ごすべきなのか。
彼女と同じ場所、東京にいるだけで幸せなはずなのに。
その東京に出てきて一日目。
今、その彼女が目の前の数センチの所に立っている。
振られたら、大阪に帰ればいい。
もともと死んでいたと同然だ。
今は奇跡で、猶予つきの生を与えられているだけなんだ。
また、あの日々に戻るだけだ。
彼は、思い切って彼女の肩の横に首を伸ばした。
すると、彼女の携帯のメール作成画面が目に飛び込んできた。
藤木さんと一緒にいる
と時間が経つのが早い
です…また来週会える
のを楽しみにしてます
ね。
彼氏といる時はメール
できないですけど、い
つも藤木さんのこと考
えてます。先のことは
わからないけど、なん
……
永遠の片思いというのは幸福だ。
決してかなうことがない想いを抱いて、恒久的に満たされることのない魂を
約束されているのなら、それはそれでひとつの安定であり平穏である。失う
ことの予感に恐れおののくこともない。もともと失った状態が常の存在のあ
りようであり、哀しみが不変の感情のベースになる。それは一種の「幸福」
と呼んでさしつかえないかもしれない。(中島らも「失恋について」)
一歩踏み出すべきか否か。
時にはそれが人生を大きく左右する。
らもの言う通り「安定」は幸福である。
でも、僕は一歩踏み出すほうを採りたい。
一歩先がたとえ、今にも綱が切れそうな吊橋だとしても、
柔らかい芝生に見せかけた落とし穴だとしても、
あるいは、最初から崖だと分かっていても。
その一歩を踏み出す勇気は、自殺する勇気に似ている。
女の子は高校を卒業し、大学進学で東京に越してしまった。
彼は一浪の末、大阪の大学に進学したので、
結局その想いが届くことはなかった。
数ヶ月前、その女の子が今は恋人と同棲している、という風の便りが届いた。
僕はそれを聞いて、歳をとったもんだな、と感じた。
3年振りに彼と会って、酒を飲んだ。
彼はもう、その女の子のことなんて忘れてるんだろうなと、僕は思っていた。
でも、開口一番、彼はこう言った。
「俺、東京に行くことにした。」
彼は大学を成績優秀で卒業し、今は大阪で公務員として働いている。
安定した収入と社会的地位を持っている。
それを捨ててまで、東京に行こうとしているのだ。
交際している人こそいないが、性格は良いし、見た目も決して悪くない。
彼の友人は大学時代を過ごした大阪に固まっている。
大阪にいれば、人間関係も全く問題ないはずだ。
彼が東京に行くことについて、デメリットこそ多数あれど、
メリットなんてどこにも見当たらない。
「彼女が今幸せに暮らしているのなら、それで構わない。
俺はその幸せをぶち壊すつもりなんて、さらさらない。
住所も電話番号も調べれば分かるだろうが、絶対にそれはしない。
してはいけないだろうし、するつもりもない。
でも、このまま地元にいたところで、どうしようもないんだ。
街で彼女に会える確率は0%に近い。
もし、俺が東京に行けば、その確率はほんの少しだが上がる。
そこの角を曲がったら、向こうから彼女が歩いてくるかもしれない。
その想いだけで、俺は次の一歩を踏み出すことができる。
明日、駅の向かいのホームで、彼女を見かけるかもしれない。
その想いだけで、明日を生きていくことができる。
東京に行くと、この狭く澱んだ空の下には必ず彼女がいるんだ、と思う。
彼女が息を吐いて、俺が息を吸って、同じ空気を共有してるんだ、と思う。
雨が降ったら、同じ雨に濡れ、同じ雨音を聞いているんだ、と思う。
ホテルの窓から外を眺める。
あの無数の光の、どれか一つが彼女の家の窓の光なんだ、と思う。
大阪にいても、何もない。
ここには何もないのと同じなんだ。
ここにいる間は、生きていても死んでいても、同じことなんだ。
だから、東京に行くことにした。」
……
彼は東京でホテル住まいを始めた。
金曜日、たまたま出張で東京に来ていた友人と飲んだ。
賑やかな街、溢れる赤ら顔、ネオンの間から聞こえてくる嬌声。
大阪と何ら変わりのない光景。
違うのは、彼女がこの街のどこかで暮らしているということだけ。
明日には部屋を探しに行こう、そう考えながら電車に乗った。
帰宅ラッシュの満員電車、ドア近くに立った。
次の駅で、彼女が乗ってきた。
彼女は、彼に気付かぬまま彼の目の前に立ち、背中を向けた。
心臓が締め付けられた。
嬉しさよりも、驚きと戸惑いで身体が硬直した。
彼は悩んだ。
話しかけるべきなのか、それともこのまま見過ごすべきなのか。
彼女と同じ場所、東京にいるだけで幸せなはずなのに。
その東京に出てきて一日目。
今、その彼女が目の前の数センチの所に立っている。
振られたら、大阪に帰ればいい。
もともと死んでいたと同然だ。
今は奇跡で、猶予つきの生を与えられているだけなんだ。
また、あの日々に戻るだけだ。
彼は、思い切って彼女の肩の横に首を伸ばした。
すると、彼女の携帯のメール作成画面が目に飛び込んできた。
藤木さんと一緒にいる
と時間が経つのが早い
です…また来週会える
のを楽しみにしてます
ね。
彼氏といる時はメール
できないですけど、い
つも藤木さんのこと考
えてます。先のことは
わからないけど、なん
……
永遠の片思いというのは幸福だ。
決してかなうことがない想いを抱いて、恒久的に満たされることのない魂を
約束されているのなら、それはそれでひとつの安定であり平穏である。失う
ことの予感に恐れおののくこともない。もともと失った状態が常の存在のあ
りようであり、哀しみが不変の感情のベースになる。それは一種の「幸福」
と呼んでさしつかえないかもしれない。(中島らも「失恋について」)
一歩踏み出すべきか否か。
時にはそれが人生を大きく左右する。
らもの言う通り「安定」は幸福である。
でも、僕は一歩踏み出すほうを採りたい。
一歩先がたとえ、今にも綱が切れそうな吊橋だとしても、
柔らかい芝生に見せかけた落とし穴だとしても、
あるいは、最初から崖だと分かっていても。
その一歩を踏み出す勇気は、自殺する勇気に似ている。
by novaexp
| 2007-05-20 23:59